「あーあーあー」
「レッド・ツェッペリン」の「移民の歌」のロバート・プラントのパワフルなハイトーン・ボイス!
いつ聞いてもシビレますね~
ロバート・プラントのパワフルなハイトーン・ボイスに憧れた方も多いのではないでしょうか。
また「天国への階段」では前半では”しっとり聞かせる”ように歌い、
後半ではいつものパワフルボイスで歌い上げ、
そのボーカル技術の高さを改めて証明させられました。
今回はそんな「ロバート・プラント」の足跡を追っていきたいと思います。
レッド・ツェッペリン加入以前
レッド・ツェッペリン加入以前のロバート・プラントは土木工事のバイトをしながら音楽活動をしていました。
当時からパワフルなボーカルスタイルだったそうです。
そんな中、ロバート・プラントはバーミンガムで「ホブストウィードル」のボーカルとして歌っていた時、
知人の紹介である人物に出会います。
後に伝説的ロックバント「レット・ツェッペリン」として共に活動する事になるギターリストのジミー・ペイジです。
当時ジミー・ペイジは「ヤードバーズ」というバンドで活動していましたが、
メンバーが脱退しボーカルを探していました。
ジミー・ペイジはロバート・プラントのパワフルなボーカルスタイルに興味を持ち、
自宅へ招きました。
(ちなみにジミー・ペイジがロバート・プラントの歌声を聴いた後の第一声は「ロックで金儲けしたいか?」だったそうです)
自宅へ招いたジミー・ペイジはロバート・プラントと新しいバンドについて様々な事を話し合いました。
そしてロバート・プラントはジミー・ペイジとバンドを組むことを決めます。
その後、ドラムのジョン・ボーナム
ベーシストのジョン・ポール・ジョーンズが加わり、
「ニュー・ヤードバーズ」としてツアーを開始します。
(ジミー・ペイジがレコード会社とヤードバーズとしての契約が残っていた為)
そしてスカンジナビア・ツアーの後、
バンド名を「ニュー・ヤードバーズ」から「レット・ツェッペリン」へ変更します。
レッド・ツェッペリン時代のロバート・プラント
1968年のデビュー直後からレッド・ツェッペリンは爆発的な人気を得ます。
またプライベートでは1969年にロバート・プラントは以前から交際していた女性と結婚します。
レッド・ツェッペリンの成功と結婚で公私ともに充実した日々を送っていたロバート・プラントですが、
1973年に喉を傷めてしまいます。
レッド・ツェッペリンの多忙なスケジュールとパワフルなボーカルスタイルを長年続けてきた事が原因でした。
1973年のアメリカツアーの後、ロバート・プラントは喉の手術を行いますが、これまでのボーカルスタイルで歌う事がほぼ不可能になってしまいます。
それ以降のロバート・プラントは声のコンディションが不安定になり、
ツアーがキャンセルになる事が度々起きるようになります。
その後、1977自身の長男がウイルス性感染症で死去し活動は無期限休止状態になります。
そして1980年ドラムのジョン・ボーナムが突然この世を去ります。
ジョン・ボーナムを失った「レッド・ツェッペリン」は、
ジョン・ボーナムのドラム無しではバンド活動は継続できないと判断し、
その年に解散します。
レッド・ツェッペリン解散後のロバート・プラント
レッド・ツェッペリン解散から2年
ロバート・プラントのソロ活動がスタートします。
これまでのハードロック路線では無く、
新たなスタイルでのスタートでした。
82年のソロデビューから90年まで各アルバムでは全米でトップ20位に入り、
またライブツアーも好調でした。
しかしソロになったロバート・プラントは
「レッド・ツェッペリン」時代の楽曲の演奏を拒みます。
理由は
”「レッド・ツェッペリン」としての過去に誇りを抱きつつも、
その過去に縛られず、新しい音楽を創造していきたい”
といったものでした。
その後もロバートプラントはアラブ音階やフォークなども取り入れたり、
様々な新しい音楽に関心を示します。
また1994年にはジミー・ペイジと「ジミー・ペイジ:ロバート・プラント」として活動
2001年からは「ロバート・プラント:ストレンジ・センセイション」として音楽活動を精力的に行っています。
2007年10月アリソン・クラウスとのアルバム「レイジング・サンド」をリリース
2007年ジョン・ボーナムの息子、ジェイソンをドラマーとして迎え、ロンドンで一夜限りの「レッド・ツェッペリン」結成
2008年第50回グラミー賞のベスト・ポップ・コラボレーション・ウィズ・ヴォーカル部門を受賞
2009年長年の音楽界への貢献が認められCBEを授与
ロバート・プラントの影響
「移民の歌」の冒頭でのハイトーン・ボイスが象徴するように、
ロバート・プラントのパワフルなボーカルスタイルは、
当時のロック業界に衝撃を与えました。
「レッド・ツェッペリン」がデビューする前のロックバンドのボーカルスタイルは、
しつこく粘っこく、コブシをきかせるようなスタイルが主流でした。
ですので、ロバート・プラントのようなパワフルで伸びやかで、
また金属音のようなボーカルは珍しかったのでしょう。
そして何よりロバート・プラントのボーカルに一番衝撃を受けたのは、
ジミー・ペイジでしょう。
新しいバンド結成の時に「これまでにないロックをしたい」と、
ボンヤリと頭の中に描いていたモノが、
ロバート・プラントのボーカルを初めて聞いた時、
ハッキリと頭の中で描く事ができたのではないでしょうか。
だから直ぐに自宅に招き、バンド結成に至ったのだと思います。
またロバートプラントのボーカルスタイルは「レッド・ツェッペリン」デビュー後、
多くのロックバンドのボーカルのスタイルになっていきます。
「クイーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーや
「エアロ・スミス」のボーカル、スティーブン・タイラーなど、
同世代のボーカリストから後輩世代のボーカリストまで、
多大な影響を残しました。
日本では「B`Z」の稲葉浩志や「X PAPAN」のTOSHIも影響を受けていると思います。
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