ボイストレーナー小谷です。今回は、第12章「声の美しさ」の解説回です。
前回解説の「フースラーメソード徹底解説11:声楽演奏のための種々な要素」を未読の方は下記をご確認くださいhttps://voitoreyktn.com/voice-production-theory/post-18478/

ある声を聴いて「美しい」と感じ、別の声にはそう感じない——その違いは、いったい何によって生まれるのか。これは歌に関心を持つ人なら一度は抱く、素朴な問いです。フースラーはこの章で、その問いに正面から答えを差し出しています。その答えを、章の流れに沿って読み解いていきます。

フースラーがこの章で示すのは、声の美しさが生まれつきの声質や好みではなく、発声器官の働きから生まれる、ということです。だから美しくない声も、発声器官の働きがまだ目覚めていないだけだ、と考えることができます。なぜそう言えるのか——その理由を、これから章の流れに沿って読み解いていくことにします。

声の美しさは「好み」で決まるのか

音声研究が美しさを「測れないもの」とした経緯

音声研究は長く、声の美しさを「合理的には測れないもの」として脇に置いてきた、という点から出発します。その根拠は、美の感じ方が文化や地域で大きく異なることです。低く硬い声を好む土地もあれば、鼻にかかった声を好む土地もあります。共通の物差しが引けないため、美は「嗜好の問題」とされました。

一方で、研究側はさらに、声の「よさ(生理的な健全さ)」と「美しさ」を切り離します。よさは合理的に判定できるが、美しさは感情でしか判断できない、と位置づけたのです。この論理を一度受けとめるなら、声の美しさを研究の対象にしにくい理由はたしかに見えてきます。

ただし、そこで残る問いがあります。では美しさは本当に手の届かないものなのか。この問いへの反論は、次でみていきます。こうして音声研究は、美しさを「架空のもの」とみなし、研究の対象から外しました。これが通説の出発点になるのです。

フースラーが「声の美は調べられる」と切り返す

フースラーはここで切り返します。美しさこそ歌声を歌声たらしめる条件であり、しかも調べられる対象だ、と考えます。歌声は、話し声や叫び声とは別種の、特別な声です。その固有の特性が「音としての美しさ」であり、美を欠いた声はもはや歌声とは呼べません。

では、その美しさはどこから来るのでしょうか。それは生まれ持った声質ではなく、発声器官のある特定の働きが鳴りひびいた成果です。その働きは、生理的・肉体的な法則に従って生じます。法則に従って生じるのなら、美しさを「架空のもの」「感情でしか測れないもの」として退ける前提のほうが揺らぎます。声の美しさは、調べていける対象である、ということです。

歌手はこの知識を「秘密の科学」として体に潜ませ、歌うときに美しさを生み出しています。それを言葉で合理的に語れるようにするのが、発声を教える者の仕事です。

発声器官の働きから声を見たい方は フースラー「歌うこと」解説③ 第3章「発声器官の統一」を徹底解説 も参考になります。

「よい声」と「美しい声」はどう違うのか

「よい声」の条件を並べる

音声研究は、「よい声」の条件ならかなり具体的に挙げられます。声の健全さは測れるからです。「よい声」とは——雑音がなく、無理な力みや持続的な緊張がなく、高音でも強弱が自在で、よくとおり、豊かに響き、柔らかく、苦しさのない声です。病的な兆候をいっさい出さない声でもあります。

これだけの条件が揃うなら、その声は無条件に美しくもあるはずではないか——そんな問いが自然に浮かびます。ところが、条件をすべて満たして「よい」といえる声が、それでもまだ美しくは響かないことがあります。「よい」と「美しい」は、ぴたりとは重ならず、わずかな隙間が残ります。その隙間に何があるのか。次でみていきます。

「よい」だけでは美しくならない理由を探る

「よい」のに美しくないのは、その声がまだ十分に「よく」ないからです。美しさに欠かせない肝要な機能が、もう少しのところで足りていないのです。その機能の不足は、これまで音声研究の記録に載ってこなかったものです。誰にでもある程度あり、話し声では当たり前で、歌っても苦痛が出ないため、医学の対象にならなかったからです。

だから声のよくなさは、長く「生まれつき」や「解剖のせい」に見なされてきました。しかし実際は、神経支配(働きの行き届き方)の不足という、機能の問題にすぎないのです。その証拠に、熟練した歌手は「よいが美しくない声」の機能的な欠陥をまねるだけで、自分の声の美しさをわけなく拭い去ってみせます。消すことも戻すこともできるのなら、美しさは才能や解剖ではなく、肉体的・機能的な法則に基づいています。これは自明と言ってよいことです。

美しい声を生む働きに踏み込む

美しい声は、ある特定の働きから生まれます。鍵は、相反する二つの力の組み合わせにあります。ひとつは、声帯を外から大きく引き伸ばす働きです。これは喉頭を支える筋群が担います。もうひとつは、声帯そのものの内側を、ぎりぎりまで抑えた小さな緊張です。最大限の伸展と、最小限の緊張。この同時進行が、美しい声の核に近いのです。

そしてここが要です。喉頭を支える筋群に働きが十分に行き届くと、呼吸器官の動きが自然と一緒に動き出します。だから美しい声は、いつも「感情がこもって」聞こえます。これは生まれつきの恵みではなく、耳で聴き分けられ、練習と模倣で呼びおこせる働きです。よい流派はみな、知らず知らずこの道を歩いてきたのです。

この働きさえ動いていれば、発声器官に多少の障害があっても、美しさは立ち現れます。「よく」はないのに美しい、ということが起こるのも、そのためです。

喉頭を支える筋群の働きを詳しく知りたい方は フースラーメソード徹底解説⑤喉頭懸垂機構について も参考になります。

声が人を動かすもの

美しいのに「冷たい」声を見分ける

美しい声が、いつも人を動かすとは限りません。声の良し悪しと、聴き手を動かす力は、別の話です。「まったく美しい」のに、聴く人の心には平凡にしか届かない声があります。逆に、それほど美しくない声が、深く感銘を与えることもあります。つまり、効果は声そのものだけで決まるのではなく、別の要素が関わります。

その分かれ目は、歌い手が自分の内側の心情を、声に乗せられているかどうかです。それができなければ、どれほど美しい声でも、最大の効果には届きません。そういう声を、フースラーは「冷たい」と呼びます。機能が卓越していても、「よく」ても、美しくても、心情がこもらなければ、声は冷たく、聴き手も冷たいままに置かれます。

こうした冷たさは、喉の閉じる力や締める働きが過剰に勝ったときに起きやすくなります。高音を細かく装飾するコロラトゥーラのソプラノやテノールに、しばしば見られる傾向です。

声門閉鎖と喉の働きについて深く知りたい方は フースラーメソード徹底解説④正しい声門閉鎖について「喉頭」 も参考になります。

横隔膜が「感動」を運ぶ

声が人を動かす感動——それは作りごとではなく、体を通って確かに伝わっていくものです。その通り道が、横隔膜です。呼吸を司るこの膜は、感情の器官でもあります。喜びも昂ぶりも、自然にわいたものも、呼びおこしたものも、すべてここを通って声へあふれ出します。

つまり、声が人を動かすとき、聴き手へは、歌い手の体の動きそのものが届いています。それが声の中に入り、そのまま伝わっていくのです。そして、歌い手の横隔膜の震えは、聴き手の横隔膜へ伝わっていきます。聞く人の体が呼応し、ともに動かされます。歌を、耳だけでなく体で感じ取る——これが「放射」と呼ばれる現象です。

ここで大切になるのが、歌い手が自分のこの器官を深く感じ取れているかどうかです。それができているとき、頭と呼吸器官のあいだに特別な結びつきが生まれます。その結びつきを支えているのは、喉頭を支える筋群の働きです。横隔膜だけが勝手に動くのではなく、呼吸を支える働きと、喉頭を支える筋群の働きが結びつくことで、声は体の奥から外へ伝わっていきます。

ただし、その放射がどこから生まれるのか、最後まで言葉では尽くせません。ここから先を、フースラーは「神の世界」と呼びました。手は届きます。けれど、その先は神秘のままです。

呼吸器官と発声の関係を詳しく知りたい方は フースラーメソード徹底解説⑥正しい呼吸と間違った呼吸の違いとは|歌うこと第4章「解剖と生理」3部「呼吸器官」から も参考になります。

 

声の美しさと「嗜好」をめぐる結論

美しさの判断に論争の余地は小さい

声の美しさは、第一に生理的な法則に支えられています。だから「美しいか、美しくないか」をめぐって争う余地は、思うより小さいのです。もちろん、声には好みがあります。けれども、好みが入り込むのは、複数ありうる美しさの中で「どれを選ぶか」という狭い範囲だけです。美しいかどうかそのものは、好みの外にあります。

その証拠に、生理的に無理のある発声は、聞けば伝わってきます。息の流れが不安定になり、声帯の振動が不安定になり、喉に余計な力が入りやすい状態になれば、その響きは声の中に出ます。音声科学者は精密な研究で、発声指導者は生きた声と向き合う経験で、それぞれに感じ取ります。

これは専門家にかぎりません。声に関心を持つ人なら、生まれ持った耳で、どこか無理のある響きを多かれ少なかれ聞き分けています。美しさを支える法則があるからこそ、その判断は、文化や好みを超えて、ある程度まで共有されるのです。

声を聞き分ける力について詳しく知りたい方は フースラー「歌うこと」解説② 第2章「まず聞く、それから知る」解説 も参考になります。

異文化の声をどう読むか

フースラーはこの節で、他文化の発声に目を向けます。ただし、その筆致には今日から見れば大きな留保が要ります。彼は西洋の発声を基準に、他の地域の声の使い方を「生理的に正しくない」と断じました。日本の声色やジャズの歌唱まで、自然な美から外れたものとして退けます。この見方は、当時の西洋中心的な価値観に強く縛られているものです。

とはいえ、そこから距離を置けば拾える指摘もあります。多くの文化は、歌声を「歌」とは別の目的にも使います。人物を演じ分ける声色、特定の感情を呼びおこす響き。それは美の優劣ではなく、声の用途が違うということです。一方で、フースラー自身は、こうした声も「本当の歌」に向かえば、共通の理想へ近づくと考えました。世界のどこでも、歌のための声には似通った方向性が現れる、という考え方です。ここに彼の信念がにじみます。

だから受け取るべきは、彼の結論と、その論拠に使われた文化観とを、分けて読むことです。美は生理的な法則に支えられるという話は残します。しかし、優劣の断定は時代の産物として脇に置く必要があります。

声そのものと「声で表すこと」を分ける

ここまでは「声そのもの」の美しさの話でした。だが、もうひとつ別の次元があります。その声を使って音楽を表現する、という次元です。声が音楽の材料として使われ、フレーズに構成されるとき、そこには別の評価が生まれます。芸術的な巧拙、そして嗜好の問題が入り込むからです。

たとえばポルタメント——音から音へ滑らかにつなぐ歌い方があります。これは純粋に音楽的な価値の問題です。美しい声で下手なポルタメントになることもあれば、美しくない声でよいポルタメントになることもあります。つまり、声そのものの美しさと、その声で何かを表現する巧拙とは、別の次元にあります。前者は生理的な法則に、後者は音楽的な判断に属します。

声はひとつのものです。その声で何かを解釈することは、また別のものです。この二つを分けて見るとき、美しさをめぐる議論はようやく見通しよくなります。

声そのものと演奏表現の違いをさらに見たい方は フースラーメソード徹底解説11:声楽演奏のための種々な要素|歌うこと10章 声楽演奏のための種々な要素 も参考になります。

声の美しさは、開いていけるもの

声の美しさは、発声器官の働き——喉頭を支える筋群と、呼吸の結びつき——から生まれます。だからこそ、美しさには近づいていけるのです。感覚で片づくものではなく、調べ、確かめていける対象です。「美しい声が出ない」のは、その働きがまだ目覚めていないというだけです。目覚めさせられるのなら、美しさは学びと訓練の先にあります。発声を学ぶ意味は、ここにあります。

 

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