こんにちは、ボイストレーナー小谷です。今回は、フレデリック・フースラー『うたうこと』の第16章「アマチュア的『訓練』はどのようにして声を破滅させるか?」を解説します。
前回記事未読の方は下記からご確認ください
フースラーメソッド徹底解説15|のどの硬直・呼気圧迫・高音不足はなぜ起こるのか?『うたうこと』第14章「ふつう”の発声器官にみられる欠陥,弱点,故障,合併症」
この章では、声の訓練がうまく働かないときに、どのようにして声を損なう方向へ進んでしまうのかが述べられています。フースラーが第16章で強く警告しているのは、発声の一部だけを正しいものとして教え続けると、声はよくなるどころか、発声器官どうしの働きが崩れ、歌うための自発性まで失われてしまうということです。
なぜ一度は声がよくなったように見える訓練が、後になって声を壊す原因になるのかを、本章の流れに沿って確かめていきます。
目次
アマチュア的な発声訓練が危険になる理由
アマチュアは声の欠点を見つけても原因まで分からない
フースラーは、声の欠点を見つけることと、その原因を理解することを分けて考えています。
熟練した耳があれば、声が本来どう響くべきかの印象があるため、声に表れた欠点には気づくことができます。
しかし、その時点で分かっているのは、声に出ている症状です。
欠点の原因を理解するには、発声器官の働きについての音声生理学的な知識が必要になります。
アマチュア的な教師は、その知識を十分に使えないため、欠点の原因を見抜けないまま、アンザッツや支えを変えさせる方向へ進みやすくなります。
そのため、一見すると声を直しているように見えても、実際には原因に届かない訓練になりやすいです。
ここでフースラーが問題にしているのは、耳で欠点を聞き取る力そのものではなく、その欠点を生んでいる発声器官の働きまで見抜けないまま訓練を進めることです。
声に出ている欠点を聞き取ったあと、それをどう理解につなげるかは フースラー「歌うこと」解説② 第2章「まず聞く、それから知る」解説 で確認できます。
一度うまくいった方法が流儀になってしまう
フースラーは、アマチュア的な教師が一度うまくいった方法を、そのまま自分の流儀にしてしまう危険を指摘しています。たとえば、アンザッツや支えを変えさせることで、声が実際によくなることがあります。
その改善は、おろそかにされていた発声器官の筋肉に神経支配が行き届き、働きが目覚めた結果である場合があります。
しかし、その教師が何によって声が改善したのかを生理学的に理解していないと、その方法だけを正しいものとして扱いやすくなります。本来は、その生徒のその時点の声に合っていた処置にすぎない可能性があります。
それでも教師は、同じ方法をほかの生徒にも教え続けるようになります。
ここで危険なのは、声がよくなった経験そのものではなく、なぜよくなったのかを分からないまま、その方法だけを正しいものとして扱ってしまうことです。一度の成功が流儀になると、その流儀は次の欠点を作る入口になってしまいます。
アンザッツそのものが本当に必要かを掘り下げた フースラーメソード徹底解説⑨アンザッツは本当に必要か?|歌うこと8章「アンザッツ」より もあわせて参考になります。
正しい働きも孤立すると声を壊す
偏った練習をすると発声器官の協調が崩れる
フースラーは、声をよくするための練習でも、発声器官の一部に偏りすぎると、発声器官の協調を崩すと考えています。例えばアンザッツや支えを変えることで、声が実際によくなることがあります。その理由は、それまで十分に働いていなかった発声器官の筋肉が、アンザッツや支えを変えることで目覚めたからです。
しかし、その方法だけを長く続けると、発声器官の一部だけが強く働きやすくなります。
その結果、ほかの発声器官の働きが弱くなり、声を作るための協調が崩れやすくなります。
フースラーは、この状態を、ひとつの機能の孤立と、ほかの機能の停止として見ています。
ここで問題になるのは、声が一度よくなった方法そのものではなく、その方法だけに偏って練習し続けることです。偏った練習を続けると、声を直すための訓練が、別の欠点を作る原因になってしまいます。
発声器官がどう協調して働くのかは フースラー「歌うこと」解説③ 第3章「発声器官の統一」を徹底解説 で確認できます。
偏った練習を徹底すると声の障害は深くなる
フースラーは、偏った練習によって作られる声の障害は、その練習が徹底されるほど深くなると考えています。発声器官の一部だけを強く働かせる練習が続くと、その働きが声の出し方として身につきやすくなります。
そのぶん、ほかの発声器官の働きは使われにくくなり、声を作るための協調も弱くなります。
歌手の天性が強ければ、本来の発声器官の働きが抵抗し、その障害を押し戻すことがあります。
しかし、学んだことがうまく消化される例は、多くの中のごくわずかだとフースラーは見ています。
ここで問題になるのは、熱心に練習することそのものではなく、発声器官の一部に偏った方法を徹底してしまうことです。
偏った訓練が深く身につくほど、声は元の自然な働きに戻りにくくなります。
そのためフースラーは、アマチュア的な訓練が声の破滅へ進む経過を、さらに詳しく見ていきます。
声が作り替えられると歌う自発性が失われる
細かく意識して声を出そうとすると歌おうとする力が弱くなる
フースラーは、声の出し方を細かく意識しすぎると、歌手の自然に歌おうとする力が弱くなると考えています。訓練前の歌手には欠点があっても、発声器官どうしがある程度つながって働いています。
そのため、イメージした声に対して、発声器官が無意識に反応して歌うことができます。
しかし、声を改善するために発声のやり方を細かく意識して変え続けると、歌おうとする気持ちよりも、決められたやり方どおりに声を出すことが優先されてしまいます。その結果、声を出すたびに、アンザッツ、支え、喉の使い方などを確認しながら発声するようになります。
ここで問題になるのは、細かく意識して声を出そうとすることで、歌おうとする力と発声器官の反応がつながりにくくなることです。以前は、歌おうとする気持ちに発声器官が反応していました。
しかし、細かく意識して声を出す状態が強くなるほど、歌手の中にある自然に歌おうとする力は弱くなっていきます。
声の出し方を確認し過ぎると声は出しにくくなる
フースラーは、声の出し方を確認し過ぎると、声は苦労して出すものになると考えています。
本来の歌唱では、歌おうとする気持ちに対して、発声器官が反応して働いています。
そのつながりがあるから、歌手は声を出すたびに細かい手順を確認しなくても歌うことができます。
しかし、アンザッツ、支え、喉の使い方などを確認し過ぎると、歌うことよりも、正しい声の出し方を守ることが優先されやすくなります。その結果、声を出す前に考えることが増え、発声器官の自然な反応が起こりにくくなります。ここで問題になるのは、確認することが歌おうとする力を上回ってしまうことです。
声を出すたびに確認が増えるほど、声は自然に出にくくなります。そのため声は、苦労と用心によってどうにか出すものになってしまいます。
間違った声の出し方は簡単に改善できない
人為的な声の出し方が習慣になる
フースラーは、間違った訓練によって身についた不自然な声の出し方は、簡単には改善できないと考えています。本来の歌唱では、歌おうとする気持ちに対して、発声器官が自然に反応して働いています。しかし、アンザッツ、支え、喉の使い方などを細かく確認しながら声を出し続けると、本来の歌唱とは違う不自然な声の出し方が身体に定着していきます。
その結果、歌おうとしたときにも、自然な声の出し方よりも、あとから覚えた不自然な声の出し方が優先されてしまいます。フースラーは、この状態を、自然に与えられている基本的な運動の経路を横切って、人為的な経路が習慣になったものとして説明しています。
ここで問題になるのは、その不自然な声の出し方が習慣として残ってしまうことです。
不自然な声の出し方が身体に定着するほど、発声器官は本来の反応に戻りにくくなります。そのため、声は歌うための楽器として働きにくくなってしまいます。
定着した不自然な声の出し方は元に戻しにくい
フースラーは、もともと持っている声の欠点よりも、間違った訓練によって不自然な声の出し方が定着してしまうことの方が危険だと考えています。もともとの欠点であれば、発声器官の働きに弱さがあっても、歌おうとする気持ちと発声器官の自然な反応はまだ残っています。
そのため、発声器官の働きを目覚めさせることで、声がよくなる可能性があります。
しかし、間違った訓練によって身についた不自然な声の出し方が身体に定着すると、本来働くはずの発声器官の反応が抑えられてしまいます。フースラーは、この状態を、“習い覚えた欠点や、習い覚えた生理的活動の抑制”として考えています。習い覚えた欠点とは、もともとは無かったのに間違った訓練によってできてしまった欠点です。
習い覚えた生理的活動の抑制とは、間違った訓練によって、本来働くはずの発声器官の反応が出にくくなった状態です。ここで問題になるのは、声に欠点があることそのものよりも、不自然な声の出し方によって発声器官の反応が抑えられてしまうことです。不自然な声の出し方が深く定着するほど、失われた発声器官の働きを再び目覚めさせることは難しくなります。
そのためフースラーは、間違った訓練によって定着した不自然な声の出し方を、もともと持っている欠点よりも危険なものとして扱っています。
発声教師には音声生理学の理解が求められる
声の訓練には発声器官を理解する責任がある
フースラーは、声の訓練が危険を含むからこそ、発声教師には発声器官への理解が必要だと考えています。
声を扱うということは、複雑な声楽発声機構に関わることです。そのため、感覚や経験だけで声を変えようとすると、声をよくするつもりの訓練が、声を損なう方向へ進むことがあります。
しかし、発声教師が自分のアマチュア性を克服すれば、声を扱う責任を持つことができます。
そのためには、客観的な音声研究が示している知識を学び、それを実際の指導に使えるようにする必要があります。ここで大切なのは、知識を学ぶだけで終わらせず、生徒の声に何が起きているかを見ながら使うことです。
声の欠点だけを見るのではなく、その欠点を生んでいる発声器官の働きまで見ようとする姿勢が求められます。だからフースラーは、発声教師に音声生理学の理解を強く求めているのです。
発声教師は発声の生理学を最低限理解する必要がある
フースラーは、発声教師にも、発声に関する生理学的な理解が必要だと考えています。声を扱う教師は、声に出ている欠点だけを見るのではなく、声の欠点が出ているときに発声器官がどのように働いているかを見る必要があります。この理解がないまま指導すると、アンザッツや支えなど、分かりやすく変えられる部分だけに頼りやすくなります。
その結果、声が一時的によくなっても、別の発声器官の働きを弱める危険があります。
ただし、フースラーは、専門医と同じ水準の知識まで求めているというより、声を扱うための基本的な理解を求めています。看護に関わる人が一般生理学を知っているように、発声教師も声の生理学を理解している必要があります。
ここで問題になるのは、発声教師が感覚や経験を持っているかどうかよりも、それを発声器官の働きと結びつけて考えられるかどうかです。第16章は、発声指導を感覚や流儀だけに任せる危うさを示している章だと言えます。
まとめ:発声訓練は感覚や流儀だけで進めると危険になる
第16章でフースラーが警告しているのは、発声訓練そのものの危険ではなく、原因を見ないまま声を変えようとする訓練の危険です。声に出ている欠点を聞き取れても、その欠点を生んでいる発声器官の働きまで分かっているとは限りません。
そのままアンザッツや支えなど、変えやすい部分だけに頼ると、一時的に声がよくなることがあります。
しかし、その方法だけを続けると、発声器官の一部だけが強く働き、ほかの発声器官の働きが弱くなりやすいです。その結果、声をよくするための訓練が、別の欠点を作る原因になってしまいます。
さらに、声の出し方を細かく確認し過ぎると、歌おうとする気持ちと発声器官の反応がつながりにくくなります。不自然な声の出し方が身体に定着すると、もともとの欠点よりも改善が難しくなります。
だから発声教師には、感覚や経験だけでなく、声の欠点が出ているときに発声器官がどう働いているかを見るための生理学的な理解が必要になります。小谷メソッドでも、声を一部の感覚だけで変えようとせず、発声器官どうしの協調を見ながら進めることを大切にしています。
フースラーメソード徹底解説記事
フースラーメソードを徹底解説①|著書「うたうこと」の基礎原理を詳しく解説
フースラー「歌うこと」解説② 第2章「まず聞く、それから知る」解説
フースラー「歌うこと」解説③ 第3章「発声器官の統一」を徹底解説
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