こんにちは、ボイストレーナー小谷です。
今回はフースラー『うたうこと』第18章「声の疲労」を読み解きます。
前回は第17章「監督のない練習」を扱いました。未読の方は下記からどうぞ。
フースラーメソッド徹底解説18|独学のボイトレはなぜ空回りするのか?『うたうこと』第17章「監督のない練習」
この章は、歌っていて感じる「声の疲れ」——日本でよく言われる「歌い過ぎ」——を、フースラーがどう捉えているかを解説した章です。
歌手を診る医師には、発声器官の不調を原因によらずまとめて「声の疲れ」と呼ぶ習慣があります。
しかしフースラーは多くの人が「声の疲れ」と感じているものの正体は、声の使い過ぎとは別のところにある、と考えています。
ではなぜそうフースラーは考えているのかを、本章の流れに沿って確かめていきます。
「声の疲れ」と機能的障害を切り分ける
フースラーは、「声の疲れ」を、長く歌えば誰にでも出てくる、ふつうの「生理的な疲れ」と、それとはまったく別ものの「機能的障害(=発声器官がうまく働けていない不具合)」の2つに分けて考えています。この章は、まずこの二つをごちゃ混ぜにせず、分けて見るところから始まります。では、その「疲れ」に見えるものを、フースラーはどうやって見分けているのでしょうか。
声に出るふつうの疲れと、機能的障害——その二つを、ここからひとつずつ解説していきます。
普通の疲労は声からは聞き取れない
フースラーは歌い手も、長く声を出す筋肉を動かし続けていれば「普通の疲労」は出てくるが、その普通の疲労は、声にはほとんど表れないと考えています。なぜなら、普通の疲労は、長く動かした筋肉ならどこにでも起きる、ごく当たり前のものだからです。長く動かす事自体は、声を出す働きそのものを大きく崩れさす事ではありません。
そのため、客観的にその声を聞いても、普通の疲労はほとんど声には表れないのです。しかも、歌っている本人ですら、普通の疲労を発声器官の全体で感じ取れるわけではなく、たくさんある発声器官のうち、ある一部分でだけ「疲れた」と気づく程度にとどまります。だとすると、耳で「疲れている」とはっきり分かる声になった時、これは普通の疲労とは別のものだ、と理解すべきです。
つまり、「声が疲れて聞こえる」とき、その正体は普通の疲労ではありません。では、声に表れる「疲れ」はいったい何なのか——次は、歌で声が「ひっくりかえる」という身近な例から、その正体を解説していきます。
声が「ひっくりかえる」のは内声帯筋の働き不足から起きる
フースラーは、歌っていて声が「ひっくりかえる」のは、疲れたからではなく、内声帯筋(声帯そのものを縮める筋肉)がうまく縮みきれていない機能的障害だ、と言っています。なぜかというと、声が「ひっくりかえる」のは、内声帯筋の縮む力が足りず、声帯のバランスが崩れる事で起きるからです。疲れて力尽きたというより、内声帯筋の働きがそもそも足りていない状態です。
フースラーはこれを、歌っている最中に働きが突然抜け落ちる「機能的脱落」と呼んでいます。多くの人は声が裏返ると「歌い過ぎだ」と思います。しかしフースラーの考えでは、原因は内声帯筋の働きが届いていないことにあります。“疲れて失敗した”ように思っていた現象が、実は”働きが足りない”現象であったのである、ということです。
だから、声が「ひっくりかえる」原因は、内声帯筋の働き不足である事の分かりやすい合図になります。では、もっとゆっくり「疲れて聞こえる」声のほうは何が起きているのか——次で解説していきます。
声区の働きとの関係を詳しく知りたい方は、フースラーメソード徹底解説⑧声区(レジスター)について|歌うこと7章「声区」より も参考になります。
声が「疲れて聞こえる」のは粘膜の乾きや硬直化から起きる
フースラーは、声が「疲れて聞こえる」とき、その多くは、声帯の粘膜が乾いたり、発声器官がこわばったりして、声の響きが落ちているだけだ、と考えています。つまり、声が疲れて聞こえるからといって、必ずしも筋肉が使い過ぎで力尽きているわけではありません。
まず起きやすいのは、歌うときに息を使い過ぎる状態です。圧迫した呼気をかけると、声帯の粘膜が乾いてしまいます。声帯の粘膜が乾くと、声帯がなめらかに振動する力が落ちます。その結果、声がやせて聞こえます。これが「疲れたような声」の正体の一つです。
もう一つは、発声器官の動きに混乱が起きたり、こわばって動けなくなる「硬直化」が強まったりする場合です。発声器官の動きが滞ると、息の流れが不安定になり、声帯の振動も不安定になります。そのため、声は重く、疲れたように聞こえます。どちらも、休めば戻る「疲れ」とは違い、その場の発声器官の働きがうまくいっていない機能的障害(=発声器官がうまく働けていない不具合)です。
ここでフースラーは一歩踏み込みます。ある声から「疲れ」が聞こえたら、それはかなりの確かさで、どこかにはっきりした機能的障害が起きているしるしだ、とフースラーは考えています。つまり「疲れ」は、休むべき合図というより、どこかで働きがうまくいっていないことを教える手がかりになるという事です。
「歌い過ぎ」「声を使い過ぎた」と片づけると、答えは「休めば戻る」で終わってしまいます。けれどフースラーの考えでは、これらは休んでも消えません。それが、息の使い過ぎが生む粘膜の乾きや、こわばって動けない発声器官、という不具合です。「疲れ」という一語が、その本当の原因を見えなくさせてしまいます。
だから、声に「疲れ」が聞こえたら、まず確認すべき事は”使い過ぎ”よりも、発声器官のどこかで起きている機能的障害のほうです。もちろん、練習をやりすぎれば集中力や耳は疲れます。ただ、声そのものに出る「疲れ」は、休養より、機能障害の原因を見つける手がかりになります。
ここまでで、「疲れて聞こえる声」の正体は機能的障害だと見えてきました。では次は視点を変えて、疲れを”まったく感じない”側に目を向けていきます。
息を使い過ぎる状態や、喉に余計な力が入りやすい状態について詳しく知りたい方は、フースラーメソッド徹底解説15|のどの硬直・呼気圧迫・高音不足はなぜ起こるのか?『うたうこと』第14章「ふつう”の発声器官にみられる欠陥,弱点,故障,合併症」 も参考になります。
疲れを感じない歌手こそ要注意
ここまでは「疲れて聞こえる声」を見てきました。フースラーはここで視点をひっくり返します。今度は逆に、いくら練習しても疲れを”まったく感じない”歌手のほうに目を向けます。疲れがないのは一見すると問題ないように思えます。しかし、フースラーに言わせれば、それがかえって見落としやすい問題のサインになることがあります。
では、そもそも歌ったあと、本当に疲れるのは体のどこなのでしょうか。そして、その疲れを感じない歌手には、何が起きているのでしょうか。ここから順に解説していきます。
本当に疲れるのは粘膜と喉頭懸垂機構
フースラーは歌っても、声帯そのものは、ほとんど疲れを感じない、と言っています。実際に疲れを感じやすいのは、声帯をおおう粘膜と、喉頭を吊り支えている筋肉のほうです。なぜというと声帯まわりでも、疲れを感じ取れる場所はかぎられているからです。声帯を縁取る声帯靭帯や、声帯の中の筋肉そのものは、疲れの感覚をほとんど持ちません。
はっきり疲れを感じ取れるのは、声帯をおおっている粘膜だけです。つまり、歌ったあとに「声帯が疲れた」と感じていても、実際には声帯そのものではなく、声帯をおおっている粘膜の状態を感じ取っている場合があります。体に出る疲れについても、フースラーは声帯そのものより、別の場所を見ています。激しく歌ったあと、はっきり疲れが出るのは、喉頭を上下から吊り支える筋肉の集まり(喉頭懸垂機構)、うなじの筋肉、そしていろいろな呼吸筋です。声帯そのものより、喉頭を支え、息を動かす筋肉のほうに疲れが出るのです。
ここでフースラーは大事な点を付け加えます。正しく歌ったときにも、疲れはやはり現れます。ただし、それは歌っている最中にすぐ強く出るものではありません。後になってようやく、喉頭懸垂機構や呼吸筋にじわっと出てきます。つまり”疲れがある/ない”は、声帯そのものより、喉頭を支え息を動かす筋肉がちゃんと働いたかどうかに結びついています。声が無理なく保たれている時でも、喉頭懸垂機構や呼吸筋は働いています。その働きがあるから、息の流れが安定し、喉頭が吊り支えられ、声を動かすことができます。
だから、疲れを手がかりにするなら、見るべきは声帯そのものより、喉頭を吊り支える筋肉や呼吸筋のほうです。そして、正しく歌えば、後からちゃんと疲れが出ます。では、その疲れを”まったく感じない”歌手には、何が起きているのか——次で、その中身に入っていきます。
喉頭を吊り支える筋肉の働きを詳しく知りたい方は、フースラーメソード徹底解説⑤喉頭懸垂機構について も参考になります。
疲れを感じない歌手は喉頭を孤立させている
フースラーは、練習しても、喉頭懸垂機構やうなじ、呼吸筋の疲れを一度も感じたことがない歌手は、むしろ慢性的に無理をしていると言っています。なぜかというと、その歌手は、歌うときに喉頭だけを働かせて歌っていて、呼吸筋と喉頭を連動させて歌えていないからです。フースラーの言葉では、呼吸筋との積極的な関連が欠けている状態です。
呼吸筋と喉頭が連動していれば、本来は喉頭懸垂機構と呼吸器官にも働きが生まれます。その結果として、喉頭懸垂機構やうなじ、呼吸筋に疲れを感じることがあります。ところが、喉頭だけで歌っている場合は、呼吸器官とのつながりが十分に働いていません。そのため、連動していれば本来出るはずの、喉頭懸垂機構と呼吸器官の疲れが出てこないのです。では、なぜ本人はそれを無理と感じないのでしょうか。
フースラーは、その人は生まれてからずっとこのやり方をくり返し練習してきた、と説明しています。つまり、喉頭だけを働かせて歌う状態にすっかり慣れているのです。だから、疲れも不快も感じません。本人の感覚では「疲れない」のですが、それは声が無理なく保たれている時とは限りません。ここでわかる事は、ふつうは「疲れない=うまく歌えている」と受け取りたくなるということです。
しかしフースラーの見立てでは、疲れをまったく感じないことは、喉頭が呼吸器官と連動して働いていないサインにもなります。つまり、疲れないことが、必ずしも発声のよさを示しているわけではありません。むしろ、呼吸筋との積極的な関連が欠けたまま、喉頭だけで声を無理やり出そうとする状態が癖になっている可能性があります。多くの咽喉科医は、声の練習はどんな疲れもなく行うべきで、疲れが出るなら無理をしていると忠告します。
しかしフースラーは、その忠告はきわめて慎重に受け取るべきだと言っています。疲れがないことは、無理がない証拠とはかぎりません。
むしろ、喉頭へ慢性的に無理を重ねている表れでありうるのです。
だから、目指すべきは「疲れないこと」そのものではありません。大切なのは、喉頭が呼吸器官と連動して働くことです。疲れの有無は、その連動が起きているかを映す手がかりにすぎません。では、その連動を、世間でよく言われる「最小限の緊張で」「自然に歌え」といった言葉は、ちゃんと言い当てているのでしょうか。次は、そうした通説をフースラーがどう読み解くかを見ていきます。
呼吸器官の働きと声の関係を詳しく知りたい方は、フースラーメソード徹底解説⑥正しい呼吸と間違った呼吸の違いとは|歌うこと第4章「解剖と生理」3部「呼吸器官」から も参考になります。
「最小限の緊張」「自然に歌え」を読み解く
フースラーは、世間ではよく言われる「最小限の緊張で」「自然に歌え」といった、その言い回しそのものを取り上げて吟味しています。
「最小限の緊張で」「自然に歌え」は、どちらも最終的には正しい言葉です。しかし、それぞれで何を指しているのかが曖昧になりやすい言葉でもあります。「最小限の緊張で」と言っても、どこの緊張が必要で、どこに余計な力が入っているのかが分からなければ、歌いにくくなります。
また「自然に歌え」も、呼吸器官と喉頭が自然に連動して歌う事なのか、ただ感覚にまかせて声を出すことを指しているのかで、意味は大きく変わります。では、フースラーは「最小限の緊張」と「自然に歌え」をどのように考えているのでしょうか。ここから順に解説していきます。
「最小限の緊張」とは、歌に不要な“誤った緊張”を減らすこと
「最小限の緊張で」歌ういちばんのカギは、歌に必要な筋肉に“正しい緊張”をしっかりつけることにあります。(ここで言う“緊張”とは、筋肉が動いて“張り”を生む働きの事で本番で緊張するといったメンタル問題とは別です。)まずフースラーは、この「最小限の緊張」という言葉は誤解されやすい、と注意します。なぜなら、どの筋肉の緊張のことか、はっきりしないからです。
「最小限」をすべての筋肉の緊張に当てはめると、歌に必要な正しい筋肉の緊張まで無くなってしまいます。フースラーが「最小限に」と言うのは、誤った筋肉の緊張のほうです。またフースラーは、歌に必要な正しい筋肉の緊張は、強くかけてもまず安全で、むしろ完全にやり切るほうが難しい、と言っています。危ういのはいつも、誤った筋肉の緊張のほうです。この誤った筋肉の緊張は、正しい筋肉の緊張が足りないときに出てきます。足りない筋肉の緊張を補おうとして、本来は歌う時に要らない筋肉が動いてしまうからです。
だから、正しい筋肉の緊張をしっかり行えば、不要な筋肉が動く理由が無くなります。必要な筋肉が必要なだけ働けば、誤った筋肉の緊張も起きにくくなります。ただし、その正しい緊張をどこまでかけられるかは、人によって変わります。また、どれだけ訓練して歌い込んできたかによっても変わります。では次は、初心者と熟達者で、その基準がどう違うのかを見ていきます。
発声訓練をどう進めるかを詳しく知りたい方は、フースラーメソッド徹底解説16|発声訓練はどう進めるべきか?『うたうこと』第15章「訓練の原則」 も参考になります。
初心者と熟達者では「疲れやすさ」の基準が違う
フースラーは、「どれくらい疲れるのが当たり前か」という基準は、初心者と熟練者で違う、と言います。両者には別々の物差しが要ります。
何年も訓練した歌手は「余裕を持って」歌えるので、疲れにくいです。しかし、まだ練習を積む段階の歌手が、それに比べて疲れやすいのは当然です。フースラーは、初心者の練習では、いま身についた発声の悪いクセや、うまく働いていない発声器官の状態を作り替えていく必要がある、と言います。
ところが作り替えを始めると、悪い癖が出たりして作り替えの進行の邪魔をしたり、途中までは正しい方向で作り替えられていたのに、ある段階で壁にぶち当たって、作り替えが停滞するといった問題が起きます。フースラーは、このように発声器官の作り替えの過程で次々に起きてくる問題を「合併症」とよんでいます。その合併症が片づくまでは、「最小限で最適の緊張」のような、すっきり仕上がった状態にはなりません。
前に見た「最小限の緊張」は、いわば仕上がった人の話です。気をつけたいのは、熟練者が「余裕を持って」歌う姿を、自分の基準にしてしまうことです。「自分もすぐ疲れずに歌えるはず」と考えると、つまずきます。段階が違えば、当たり前に出る疲れの量も質も違うからです。だから、初心者のうちは、多少の疲れが出るのはむしろ自然です。
それを「無理をし過ぎた」と考えて訓練を止めるより、いまは現状を作り替えている途中だから、多少の疲れは仕方がないと理解して進むほうがいいです。次は、もう一つの言葉「自然に歌え」を取り上げます。
監督のない練習で悪い癖が出やすい理由を詳しく知りたい方は、フースラーメソッド徹底解説18|独学のボイトレはなぜ空回りするのか?『うたうこと』第17章「監督のない練習」 も参考になります。
「自然に歌え」という言葉が覆い隠すもの
「自然に歌え」という言葉は、やさしく聞こえます。けれど、何を「自然」とするかがはっきりしないまま使われ、いちばん肝心なところを覆い隠してしまうことがあります。フースラーの考える「自然に歌え」とは、訓練の先にやっと手に入る、整った発声器官の自然な働きで歌うことです。フースラーは、「自然に歌え」という言い方は、たいてい発声をよく知らない人から出てくる、と言います。
そして、声楽でいちばん難しい問題を、この一言でまるごと片づけてしまう、と言っています。なぜなら、多くの人は「自然」と聞くと、いまの発声の状態をそのままで歌えと理解してしまうからです。しかし、多くの人の発声器官は、すでにうまく働いていない——使えていない筋肉を多く抱えた状態です。だから「いまのまま=自然」とすると、その崩れた現状をそのまま肯定することになります。
つまり「自然に歌え」という同じ言葉のなかに、まるで違う二つの「自然」が同居しています。世間が使う“いまのままの自然”と、フースラーの言う“作り替えの先の自然”です。だから「自然に歌え」は、本当に向き合うべき問題から目をそらさせる言葉になりえます。多くの人にとって、いまの「自然」は、使えていない筋肉を抱えたままの状態です。それをそのまま続けても、発声器官は作り替わっていきません。
本当の歌声の仕組みを知ることは、この「自然」という一言でやり過ごしてしまう壁の、その向こうから始まります。
発声器官がまとまって働く状態を詳しく知りたい方は、フースラー「歌うこと」解説③ 第3章「発声器官の統一」を徹底解説 も参考になります。
「だからバス」という決めつけが覆い隠すもの
フースラーは、有名な音声学者でさえ、声の表面だけを見て「だからバスだ」と決めつける例を出しています。そして、これも「自然に歌え」と同じ“無関心の壁”を立てるものだと示します。まず、彼らの言う「自然に」とは、不健全な状態をそのまま放っておくことです。ふつうの人の発声器官は、その不健全な状態に実際みな悩まされています。
つまり、声に何か問題がある時も、喉頭が呼吸器官とどう連動して働いているのかまで見ずに、「それが自然な声だ」と片づけてしまうわけです。ここでフースラーが例に出すのは、有名な音声学者の本の一節です。ある若い歌手について「彼の声域は、Eから e¹ まで楽に出る。だからバスだ」と書かれている。
問題はこの「だから」です。声がそこまで出る。だからバスだ。こう安易に片づけた瞬間、「なげやりな無関心」という、実に曖昧な壁がまた生まれます。フースラーは、発声の世界ではこの壁にいたる所で出会う、と言います。
本来なら、声域だけで決める前に、その声がどのように出ているのかを見る必要があります。息の流れが安定しているのか。喉に余計な力が入りやすい状態になっていないか。喉頭が、呼吸器官と連動して声を無理なく支えているのか。そこを見ないまま「自然に歌え」「だからバス」と言ってしまうと、歌手の声に起きている本当の問題は見えなくなります。
その壁の向こうにこそ、発声指導が必要とし、音声専門医さえ必要とするような、本当の歌声の仕組みがあります。「自然に歌え」も「だからバス」も、その“無関心の壁”の手前で止まっているのです。
声種を声域だけで決めない考え方を詳しく知りたい方は、フースラーメソード徹底解説12:声種について|歌うこと11章 声種 も参考になります。
まとめ
この章でフースラーが言うのは、「声の疲労」を疲れの有無だけで判断してはいけない、ということです。疲れて聞こえる声は機能的障害のサインです。逆に疲れをまったく感じない声は、喉頭を孤立させて無理を続けているサインかもしれません。だから本当に問うべきは、「疲れたか/疲れないか」より、喉頭が呼吸器官と連動して働いているか、です。
「最小限の緊張」も「自然に歌え」も「だからバス」も、声の表面で片づけると、この連動という肝心な点を素通りしてしまいます。本当の歌声の仕組みは、その「壁の向こう」にあります。練習では、疲れの有無や「自然かどうか」を物差しにするより、自分の喉頭が呼吸器官と連動して働いているかに意識を向けることが大切です。
具体的には、息の流れと喉のゆとりです。息の流れが安定し、喉に余計な力が入りにくい状態で声が出ているか。そこを見ることが、「壁の向こう」へ進む一歩になります。
フースラーメソード徹底解説記事
フースラーメソードを徹底解説①|著書「うたうこと」の基礎原理を詳しく解説
フースラー「歌うこと」解説② 第2章「まず聞く、それから知る」解説
フースラー「歌うこと」解説③ 第3章「発声器官の統一」を徹底解説
フースラーメソード徹底解説⑥正しい呼吸と間違った呼吸の違いとは|歌うこと第4章「解剖と生理」3部「呼吸器官」から
フースラーメソード徹底解説⑦唇・舌・口蓋・口蓋垂の問題と新説でフースラーが伝えたい事|歌うこと第5章「唇・舌・口蓋・口蓋垂について」第6章「自発振動」から
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