ボイストレーナー小谷です。今回は第8章「アンザッツ」を解説します。
前回解説「フースラーメソード徹底解説⑧声区(レジスター)について」を未読の方は下記をご確認ください
https://voitoreyktn.com/voice-production-theory/post-18349/
この章では「アンザッツとは何か」「アンザッツの種類の解説」「アンザッツを訓練でどう扱うか」を解説されています。
フースラーといえばアンザッツ、というイメージを持つ方は少なくありません。たしかにアンザッツは、フースラーメソードを語るうえで非常に印象的な概念です。
その一方で、フースラーメソードはアンザッツだけを練習すればよく、呼吸は不要だと受け取っている人も、最近は少なくないように個人的には感じています。
しかし、ここで改めて考えてみたいのは、そもそもフースラーはなぜアンザッツを提唱したのか、ということです。
フースラーは、呼吸の練習は不要で、アンザッツの練習だけで声がよくなると言いたかったのでしょうか。
それとも、アンザッツによって別の何かを実現しようとしていたのでしょうか。
これまでの章の流れを踏まえてこの章を読むと、フースラーがアンザッツを提唱した本当の意図が見えてくるように思います。
そしてこれは個人的な実感でもありますが、今回あらためてアンザッツの章を読み直してみて、私が受けてきたフースラーメソードのレッスンは、なぜ呼吸トレーニングが中心で、アンザッツが補助的な位置づけだったのか、その理由が少し分かった気がしています。
目次
フースラーがアンザッツ練習で目指していた事
フースラーは、歌手が歌声を出すきっかけには、根本的に異なる二つがあると述べています。
ひとつは、感情が優位になっているとき呼吸筋の動きです。
たとえば、大笑いしたときや、びっくりしたときは、理性よりも感情が前に出ています。
このような場面では、呼吸筋が自然に活発に働き、その結果として大きな声が出ます。
もうひとつは、声のイメージです。
声のイメージは一見つかみどころがないように思えますが、私たちは声を出すとき、実際には無意識に何かをイメージしています。
たとえば、小さい子どもに話しかけるときは自然と声が高くなります。
これは、子どもに話しかける時、無意識に高い声をイメージしているからです。
そして、そのようなイメージを持つことで、喉頭もまた高い声の形を自動的につくります。
フースラーが理想としているのは、この「感情優位の呼吸」と「声のイメージ」が一緒に働くことです。
しかし現実には、多くの歌手がそのどちらかに偏りすぎていると見ています。
感情優位の呼吸に偏る人は、呼吸器官の働きが前に出すぎて、声の強さばかりが強調され、叫び声に近づきやすくなります。
反対に、声のイメージに偏る人は、歌の内容を鮮やかに表現できる一方で、発声の土台がしっかりしていないと喉に頼った発声になり、声が不安定になりやすくなります。
つまり、フースラーがアンザッツで目指しているのは、「感情優位の呼吸」と「声のイメージ」のどちらが正しいかを決めることではありません。そうではなく、この二つが連動して働く状態を前提にしているのです。
だからこそフースラーは、「どのアンザッツであっても、これらのアンザッツを実行することは、呼吸がどう働いているかと密接に関係している。だから最初だけではなく、その後も常に同時に、正しい呼気を努力することが肝要である」と述べています。
アンザッツを重視しながらも、その土台には常に呼吸があることを、フースラーははっきり示しているのです。
アンザッツとは何か
フースラーは、「歌手は頭頂部・前頭部・鼻根部・上顎部・歯列部などに振動を感じ、それを“声を当てる”と言ったり、声に“置き所”を与えるなどと言う」と述べています。
日本語ではアンザッツは「置く」や「当てる」などと説明されることがあります。
もちろん、声は空気の振動なので、実際にどこかへ物理的に当てたり置くことはできません。
それでも、こうした特定の場所を意識すると、声の響きや出方が実際に変わることがあります。
フースラーが着目したのは、このように意識の向け方によって変化する声です。
このことの分かりやすい例が、遠くの人を呼び止めるときの声です。
遠くの人を呼ぶ声は、近くの人と話す声とは明らかに違います。
これは、遠くへ向ける意識によって、遠くの人を呼ぶ声のイメージが自然に生まれ、呼吸器官、喉頭、喉頭懸垂機構機構の発声器官の動きが近くの人と話すときとは自然に変わるからです。
私たちは声を出すとき、目的に応じて自然に声のイメージが生まれ、無意識のうちに声の出し方を変えているのです。
フースラーは、このようにどこか、あるいは何かを意識すると、声は自然に変化すると考えました。
そして、その意識の向け方によって喉頭懸垂機構や喉頭内部の働きも変わる点に注目し、アンザッツを発声の訓練に活用できると考えたのです。
アンザッツ別に、何が起こりやすいか
ここからフースラーは、いくつかの代表的な「アンザッツ」を挙げ、声や喉の状態がどう変わりやすいかを説明します。
アンザッツ1 前歯に置く感じ
前歯に置くイメージでは、声が前に集まりやすく、声の立ち上がりがはっきりしやすい方向に働きます。
その一方で、喉が上がりやすく、喉の奥の空間が狭くなりがちだ、とフースラーは述べます。
この置き方だけに長く偏ると、声にふくらみやつやが出にくい、いわゆる平たい声になりやすく、強く出そうとすると悪い結果を招きやすい、と警告しています。さらに、偏りが続くと揺れが出やすい、とも述べています。
アンザッツ2 胸骨のいちばん上に置く感じ
胸骨の上端に置くイメージでも、声の芯を作る方向が働きやすいとされますが、同時に喉が下がりやすく、上に固まってしまう危険が少ない、と説明されています。フースラーはこれを、比較的基本で危険の少ないやり方として扱っています。
この置き方によって、よく通る、生き生きした、平たくない声が出やすい、とされています。
アンザッツ3a 鼻根に置く感じ(いわゆる“マスク”)
鼻根に置く感じは、多くの現場で「マスクで歌う」と言われる領域です。
フースラーはここで、声に密度や充実感が出やすい方向を説明します。
うまくいくと、発声器官が「開いている」ように感じられ、声がしっかり鳴る状態につながる。
ただし、これだけに偏って長く続けると、特定の働きだけが強調されすぎて、音色が狭くなったり金属的になったりし、高音への道が閉ざされる危険がある、と強く警告しています。
アンザッツ3b 上顎に置く感じ
上顎、歯列の上、硬口蓋の前方に置くイメージでは、声の輪郭がはっきりしやすく、弱めの声でも芯を保ちやすい方向が説明されています。
フースラーはここで、いわゆる「メザ・ヴォーチェ(半分の声)」として扱われる声の性質に触れ、他の音色への橋渡しとして多くの良い流派が出発点の一つにしている、と述べます。
アンザッツ4 頭頂(または軟口蓋)に置く感じ
頭頂に置くイメージは、高い音域の方向へ行きやすい働きと結びつけて説明されます。
喉の中の空間が広がりやすく、声の性質が頭声寄りになりやすい。
一方で、低い音域では息っぽさが混ざることもある、と書かれています。
アンザッツ5 前頭に置く感じ
前頭洞が共鳴する、というような説明はフィクションとして使われがちだ、とフースラーは言います。ここでもポイントは、説明が科学的に正しいかではなく、起きる現象と働き方の関係です。このアンザッツでは、いわゆるファルセット寄りの性質が出やすいとされ、ふくらみは少なめで、開いた印象が混じる方向が説明されています。
アンザッツ6 うなじに置く感じ
うなじに置くイメージは、喉が下がり後ろへ落ち着く方向を通じて、声に張りと通り、豊かさをもたらす、とフースラーは述べます。高音域が自由になり、「充実した頭声」に関係する、とかなり強い言い方も出てきます。ただしここでも万能ではありません。
こればかりに偏って、他の置きどころ、とくに鼻根の置きどころを十分に使わないでいると、声がのどっぽくなる危険がある。
さらに時間が経つと、声の芯を支える側が弱ってくる、という観察も書かれています。
正しいアンザッツは呼吸筋との「連動」で決まる
アンザッツで大切なのは、アンザッツを意識して時の振動や響きの感覚だけを見ることではなく、「アンザッツを意識した時の振動や響きを感じている時、呼吸筋がどう動き、姿勢がどう保たれていたか」まで含めて見ることです。
なぜなら振動や響きの感覚だけを追っても、同じ声は再現しにくいからです。
アンザッツには声のイメージが関わります。
しかしフースラーは、声のイメージだけでは不安定になりやすいことも示しています。
実際フースラーは「どのアンザッツであっても、そのアンザッツの実行は呼吸の働きと密接に関係しており、正しい呼気を常に同時に求めることが重要だ」と述べています。
つまりフースラーは、アンザッツが呼吸と連動していることを前提にしています。
振動や響きの感覚だけを追うと、呼吸との連動は切れやすくなります。
フースラーにとって、アンザッツの感覚はあくまで結果です。
呼吸とイメージが連動し、呼吸器官、喉頭、喉頭懸垂機構の発声器官の働き方が変わった結果として、響きや振動の感覚が現れるのです。
訓練の注意 ひとつに偏った練習はダメ
「各アンザッツは、発声器官のある働きと一致しているが、発声機構全体の中の一部分にすぎない。だから正しい指導のためには、すべてのアンザッツを交互に練習させるべきだ」とフースラーは言います。
「ひとつだけを繰り返し続けると、その働きだけが過度に強調され、発声器官を壊すもとになる。行き詰まった声に対してアンザッツを変えたら成果が出ることは多いが、そのときに”唯一の正しいアンザッツを教えた”と思い込むと、結局また別の偏りに落ちる。」
「だから歌手が教師を渡り歩き、最初は感激し、やがて幻滅する現象が起きるのだ」とまでフースラーは書いています。ここは、アンザッツ万能論への強い警告として読めます。
声のタイプ別に、何から始めるか
フースラーは「平たい・狭い声、押しつぶされた・詰まった・硬い声では、喉が高く上がりすぎたり固定されたりしている」と述べ、その改善の入口として「まず頭頂のアンザッツと、うなじのアンザッツを練習するのがよい」と提案します。
さらに、「うなじのアンザッツは、歌いながら意識をうなじに集中し、うなじの脊柱に振動を感じられるようになるまで練習するとよい」とかなり具体的に書きます。ただしこれは「うなじを直接振動させにいく」という意味ではなく、改善した状態の目安として振動が感じられるところまで整える、という意味で読むと筋が通ります。
そして、緩みすぎてぼやける方向に偏らないために、途中で鼻根や上顎、胸骨上端のアンザッツも混ぜて練習するとよい、という流れも提示しています。そしてこれらの練習は呼吸筋との連動が前提です。
フースラーはなぜアンザッツを提唱したのか?
フースラーがアンザッツを提唱したのは、感情優位の呼吸と声のイメージを実際の歌声につなげたかったからだと感じます。
この章の最初でフースラーは、声を出すきっかけには二つあると言っています。
一つは感情優位の呼吸
もう一つは声のイメージ
そして本当に良い発声は、この二つが一緒に働くことだと考えていました。
そのうえでフースラーは、歌手がよく言う「声をここに当てる」「ここに置く」という感覚を、特定の発声器官の動きの表れであると考え、感情優位の呼吸と声のイメージを連動させる訓練になると考えたのです。
つまりアンザッツは、声のイメージが、呼吸器官、喉頭、喉頭懸垂機構機構の動きにどう結びつくかを、理屈ではなく体感として学ぶための手段として考えています。その意味で、アンザッツはまさに、感情優位の呼吸と声のイメージを歌う時に連動させるための実践的な橋渡しと考えていたと私は感じています。
ただし、フースラーは「アンザッツだけやれば十分」とは考えていません。
この章の最後でも、アンザッツは呼吸と深く関係していると言っています。
つまりアンザッツは、呼吸と切り離して使うものではない、ということです。
フースラーにとってアンザッツは、発声訓練のすべてではなく、
感情優位の呼吸と声のイメージを連動させるための訓練の一つだと考えると分かりやすいです。
アンザッツの現在地
ここからは、フースラーの第8章を踏まえたうえで、現代のレッスン現場から見た私なりの再解釈を書きます。
フースラーがアンザッツを提唱した当時は、呼吸を最優先に考える発声観が強かったように思います。
そうした時代に、喉頭懸垂機構に着目して発声を体系化したアンザッツ理論は、非常に斬新だったのだと思います。
私自身も、フースラーのアンザッツ理論は今なお非常に優れた体系だと感じています。
そして現在でも、喉頭懸垂機構が発声において重要な要素であること自体は変わりません。
ただし、現在では、喉頭懸垂機構はそれ自体を積極的に鍛える対象というより、呼吸や喉頭の働きが適切かどうかをみるための補助的な観察対象として捉える考えが強いです。
なぜなら、喉頭懸垂機構は呼吸や喉頭の働きと連動して機能するものであり、喉頭懸垂機構だけを整えれば呼吸や喉頭まで自動的に整うわけではないからです。
さらに、喉頭懸垂機構を訓練の中心に据えにくい理由もあります。
喉頭懸垂機構に関わる筋肉は目で直接確認できないため、どうしても「どんな声が出たか」「どう響いたか」「どう振動したか」といった感覚に頼った練習になりやすいからです。
しかし感覚中心の訓練は、生徒によって受け取り方が違い、再現性にも差が出やすいため、メインのトレーニングとして用いるには限界があります。
これは私自身、実際のレッスンの中でも強く感じています。
そのため、私のレッスンではアンザッツ練習を全面には出していません。
ただし、アンザッツ3の練習は行っています。
なぜなら、アンザッツ3は良い歌声のイメージを作るうえで実践的で有効だからです。
私が考える良い歌声のイメージとは「それをイメージできれば呼吸器官と喉頭が自然に連動できるイメージ」です。
アンザッツ3は私が考える歌声の良いイメージを掴みやすいと個人的に考えています。
ただし、私はフースラーが示した3a、3bの二点だけに限定していません。
上唇から眉間にかけての範囲の中で、その生徒さん自身が最も響きを感じやすい場所を探るようにしています。
その理由は、アンザッツ3でつかむ感覚が生徒さんごとに違うからです。
だから私は、アンザッツで感じる感覚を最初から固定しません。
生徒さんが良いアンザッツで声を出せた時に、「今どんな感覚でしたか」と確認します。
大切なのは、理論上の正解を押しつけることではなく、その生徒さんが良い発声をした時に実際に感じた感覚を、再現の手がかりとして言葉にすることだと考えているからです。
とはいえ、指導者にとってアンザッツの理解は今でも必要だと思います。
なぜなら、特定のアンザッツに特徴的な音色や響きを理解していれば、声に問題が出た時に、発声器官のどの部分が過剰に働いているのか、逆にどの部分が十分に働いていないのかを推測しやすくなり、改善の糸口を見つけやすくなるからです。
私が考えるアンザッツの現在地はこのようなものです。
つまり、アンザッツは指導現場でそのまま体系ごと適用するには難しい面があり、生徒に合わせて必要最小限に用いる補助的なツールとして扱うのが現実的です。
しかし一方で、声の状態を聞き分け、問題を整理するための視点としては今でも有効です。
だからこそ、指導者はアンザッツを理解しておくべきだと考えています。


