ボイストレーナー小谷です。第3章のテーマは「発声器官の統一」です。
第2章では発声をどのように学ぶべきかがテーマでした。
その視点を踏まえることで、第3章の意味はよりはっきりと見えてきます。
まだ第2章をお読みでない方は、先にこちらをご確認ください。
フースラー『歌うこと』第2章の解説はこちら
https://voitoreyktn.com/voice-production-theory/post-18257/
私はボイストレーナーとして、たくさんの方の声と向き合ってきました。
その中でよく感じることがあります。
「やり方は頭で分かっているのに、いざ歌おうとするとうまく歌えない」と感じておられる方が多いことです。
今のボイストレーニングはSNSなどで呼吸の事や声帯の動き、共鳴などを一つずつ手軽に学ぶことができます。これはとても良いことです。
でも、呼吸の事や声帯の動き、共鳴などを頭で詳しく理解していても歌えません。
なぜなら歌は呼吸や声帯、共鳴などが自然に連動しないと歌えないからです。
だから、「分かっているのに歌えない」ということが起こります。
歌えないのは、呼吸の事や声帯の動き、共鳴、など発声器官を知らないからではなく、それら発声器官が連動できていないからなのです。
そこで私は、フースラーの「歌うこと」の第3章「統一」にあらためて立ち戻りました。
この章に書かれているのは、特別なテクニックではありません。
歌う時に発声器官はどのような時に自然に連動するのか、という事が記されています。
歌声は、発声器官が自然に連動してはじめて生まれます。
このことをフースラーは「発声器官の統一」と呼びました。
このシンプルな前提こそ、いまもう一度見直す必要があると感じています。
この記事では、フースラーのいう「統一」とは何かを、できるだけ分かりやすくお伝えしていきます。
目次
フースラーがいう「歌声は“部分の足し算”ではない」とは
フースラーは、歌声は、「個々の発声器官の働きを寄せ集めて足し算した結果ではない」と強調して述べています。
呼吸から喉、声帯、口の中に至るまでが、自然に連動したときにだけ生まれるものだ、という考えです。
よく高音が出ないときに「声帯だけが弱い」と考えたり、響かないときに「共鳴腔の形だけが悪い」と決めつけたり、息が足りないときに「肺活量だけの問題だ」と考えたりすることがあります。
もちろん発声器官の動きや状態を個別に確認することは大切です。
しかし歌声は、機械のように、どこか一つを直せばそれだけで勝手に良くなる、という単純な構造ではないのです。
例えばボイトレで発声器官の一部分を修正したのに声が改善されないことがあります。
なぜそうなるのかというと、発声器官の一部分だけ直しても、他の発声器官との連動ができていないからです。
フースラーはこの状態を、発声器官の一部分の問題ではなく「発声器官が統一されていない」と表現しています。
フースラーがいう統一とは自然な連動が起こる状態
フースラーが考える「統一」は、自転車に乗ることとよく似ています。
自転車を運転する時、ハンドル、ペダル、ブレーキ、バランス、視線など、いくつもの操作を行います。
でも、自転車を運転しているときに「今は右足をこう動かして、次にハンドルをこの角度にして…」と順番に個別に意識して操作しているわけではありません。
自転車を運転する時は全ての操作が同時に自然に連動して行われて運転しています。
もし自転車を運転している時に「ハンドルだけ正しくしよう」と意識しすぎると、下半身の動きが悪くなり、かえってふらつきます。
ペダルだけを強く踏めばいいと強く意識すると、上半身とのバランスが崩れて倒れてしまいます。
歌も同じです。
声帯だけ、息だけ、口の形だけを正しく動かそうとすると、他の部分が動かなくなり、全体の連動が分断されます。
自転車がうまく乗れているときは、「順番に個別に操作している」というより「バランスが自然に取れている」感覚に近いはずです。
歌も、うまくいくときは「歌声を作っている」よりも「発声器官の連動のバランスが自然にとれている」感覚になります。
歌の統一はまさにそれです。
発声器官の一つ一つを頭で理解することは大事ですが、最終的に重要になるのは「発声器官全体が同時に自然に噛み合った状態」です。
発声器官を統一させるには
発声器官を統一させるには、まず大切になるには体幹や背中、横隔膜などの支えを整えて息を無理なく出せる状態になることだとフースラーは言います。
支えが整うと、喉頭や声帯はそれに反応して自然に動き始めます。
たとえば、くしゃみをするときに「今から喉をこの角度にして…」と考えないのと同じです。条件がそろうと、体は自然に連動します。
歌もまた、条件が整ったときに自然に発声器官の連動が起こるものです
支えの準備が整っていると、喉頭や声帯は無理なく必要な動きをします。
声帯は自然に伸びたり、閉じたり、振動したりします。その結果として声が出ます。
しかし「喉をこう動かそう」「声帯を閉じよう」などと意識すると、体は防御反応を起こして過度な緊張が生まれやすくなります。
すると息の流れが止まり、喉に余計な力が入り、声が出しづらくなります。
つまり統一とは、「どこか発声器官の一部分を頑張らせること」ではなく、支えから喉頭や声帯までがスムーズにつながり、自然に連動している状態のことです。
うまく歌えているときは、「意識して発声器官を使う」という感覚よりも、「発声器官が勝手に連動して歌えている」という感覚に近くなります。
統一とは、意識して無理やり作るものではなく、条件が整ったときに自然に起こる“全体のつながり”とフースラーは考えています。
「歌の楽器」は固定されたフォームではない
フースラーは、歌っているときにだけ人の体は“歌の楽器”になると述べています。
ギターやピアノは、それ自体が楽器であり、それ以外の役割はありません。
しかし人間の体は、歌うためだけの器官ではありません。
呼吸し、話し、飲み込むなど、さまざまな働きをしています。
人の体は歌うときだけ、呼吸・喉・響きが特別な連携を取り、発声器官が統一された状態になります。
そのときに初めて、体は“歌の楽器”として働きます。
しかし「楽器になる」為にフォームを無理に固定しないことです。
無理にフォームをガチガチに固めると、息の流れが止まり、喉に余計な力が入り声が出にくくなります。
歌の楽器とは、フォームを無理に固定することではなく、呼吸や喉頭などの発声器官を自然に繋ぎ統一が自然に起こっている状態です。
その統一が自然に生まれた時、私たちの体は歌の楽器になります。
なぜ「話せるのに歌えない」が起こるのか
なぜ「話せるのに歌えない」が起こるのでしょうか。
多くの人が、「普段は普通に話せるのに、歌うと急に苦しくなる」と感じます。
そして「話せているのだから喉は大丈夫なはず」と考えます。
フースラーは、話すことと歌うことでは“求められるレベル”が違うというと考えています。
話し声は、それほど強い息も、広い音域も、声を長く持続させる必要ありません。
多少バランスが崩れていても、日常会話は成り立ちます。いわば「軽い運動」に近いものです。
しかし歌は違います。長く息を使い、広い音域を使い、音程を保ち、響きを作り、さらに表現まで求められます。
つまり歌は、より多くの条件を同時に満たさなければなりません。
そのためには、体の支え、息の流れ、喉の動き、響きがなどの発声器官のより高いレベルで統一される必要があります。
歌う時に、この統一がうまくいかないと、喉だけが頑張る、息だけが強くなる、口だけを広げる、といったバラバラな動きになります。
その結果、「苦しい」「押している感じがする」「高音がつらい」という状態になります。
つまり、話せるのに歌えないのは、喉などに問題があるのではなく、歌に必要な“より高度な発声器官の連携”がまだ整っていないだけなのです。
だから必要なのは、悪い部分を探すことではなく、歌うために必要な統一を取り戻すことなのです。
フースラーがいう発声器官が統一されると何が変わるのか
フースラーは発声器官が統一されると、まず大きな変化は、無理に歌おうとしなくても自然に歌えるようになると言います。
たとえば、声の出だしをきれいにしようと意識しなくても、自然にきれいに始まるようになります。体幹や横隔膜を必死に使おうとしなくても、自然に支えが感じられます。
地声と裏声も自然に繋がります。
響きも「ここに当てよう」と狙わなくても、自然に当たるようになります。
息も最後まで続きやすくなります。
これは、何かを“後から付け足している”のではありません。
体の連携が整ったことで、本来の発声器官の連動が回復した結果です。
ここでとても大事なのは、統一とは「意識で作り出すもの」ではない、という点です。
多くの方は「統一」と聞くと、「頑張って発声器官をまとめてなければ」と思いがちです。
でも実際は逆です。どこかを無理やり使おうとすると、他の部分が動きにくくなり、かえってバランスが崩れます。
統一がうまくできているときは、体のそれぞれの部分が問題なく動けています。
お腹はお腹の役割を、喉は喉の役割を、口や舌もそれぞれの役割を果たします。
そして、どれか一つが無理に頑張りすぎることがありません。
イメージとしては、パスが自然につながっているサッカーの試合のようなものです。
誰か一人が無理に持ちすぎると流れは止まりますが、それぞれが自分の役割を果たすと、プレーはスムーズに続いていきます。
発声器官の統一も、サッカーのように個人プレイではなく、発声器官全体が自然に連動させる事が大切です。
強くしようとしなくても強さが出て、響かせようとしなくても響きが生まれる。
その土台になるのが、発声器官の統一なのです。
まとめ:「目指すのは「テクニックの追加」ではなく回復のプロセス」
第3章「統一」が教えているのは、歌声は発声器官を無理やりまとめることではなく、発声器官全体が強調して働くときにだけ生まれるということです。
歌えない問題を喉だけの問題にしないこと。フォームを固定しようとしすぎないこと。
部分を訓練する前に、全体の連携が成立しているかを見直すこと。
発声を「テクニックの追加」ではなく、「機能の回復と統一」として捉え直す。
それがフースラー第3章の、いま声に悩みを抱えている方にも通じる最も大切なメッセージです。


