ボイストレーナー小谷です。今回は第4章解剖と生理 第3部呼吸器官を解説します。

前回解説「フースラーメソード徹底解説⑤喉頭懸垂機構」をまだ未読の方は下記をご確認下さい
https://voitoreyktn.com/voice-production-theory/post-18284/

この章は全体で20ページ程ありますが、その半分ほどが誤った呼吸の解説にあてられ、残りの半分で呼吸の仕組みやメカニズムが語られています。こうした章の構成を見ると、フースラーは呼吸を非常に重要な問題として考えていた、と私は感じます。
実際、この章からは、彼が呼吸を軽く見ていたとはとても思えません。

発声では昔から「呼吸が大事」とよく言われます。実際、呼吸は発声に欠かせない大切な発声器官です。
ですがフースラーは呼吸の発声には慎重でした。
なぜなら、呼吸の使い方を少し間違えるだけで、喉との自然な連動が崩れ、かえって声が出しにくくなると考えていたからです。
フースラーは、まさにそのような誤った発声に流れてしまうことを強く警戒していたのだと思います。

この章でフースラーが問題にしているのは、呼吸と喉頭が本来どのように結びついているのか、そしてなぜ歌になるとその自然な連動が崩れやすいのか、という点です。
ここを読み違えると、「呼吸がすべて」と考えすぎたり、逆に「呼吸は何もしなくてよい」と極端に受け取ったりしやすくなります。

今回の記事では、フースラーが誤った呼吸をなぜこれほど強く批判したのか、理想的な呼吸や支えをどう考えていたのか、さらに呼吸を発声全体の中でどのような位置づけで見ていたのかをご理解頂けると思います。
呼吸だけを単独で見るのではなく、喉頭懸垂機構や喉頭とのつながりまで含めて読むことで、この章の意図はかなりはっきり見えてきます。

ではまず、フースラーが呼吸の仕組みを理解する前提として、何を重視していたのかから見ていきましょう。

 

フースラーが考える呼吸の仕組みを理解する前提

フースラーは呼吸の仕組みを理解する前提として、
「呼吸に関わる筋肉とても数が多くて実際に呼吸している時に、どの筋肉がどう動いているかを一つ一つ確かめるのは、ほぼ不可能」
「だから細かい呼吸筋の名前を覚えるのではなく、息を吐く・吸うという循環運動を中心にして、呼吸のしくみを理解しよう」

要するに「呼吸のとき体全体が、どう動くかをつかむ事が大事」ということです。

そしてフースラーは、この軸をつかまないと、本当の意味での歌声は実現しない、とかなり強く言い切っています。

 

フースラーのいう呼吸と喉頭の関係性とは

上手く歌えない原因

上手に歌うためには、呼吸と喉頭が連動する必要があります。
ところが実際には、歌おうとした瞬間に呼吸と喉頭が連動せずに、ばらばらになってしまうことが少なくありません。
呼吸と喉頭が連動しなくなると、声が出しにくくなったり、喉の余計な力が入りやすくなります。

この話を聞くと、呼吸と喉頭が自然に連動することは、特別に訓練された人だけができる高度なテクニックのように感じるかもしれません。
しかし本来、呼吸と喉頭が自然に連動します。

呼吸と喉頭が自然に連動

呼吸と喉頭の自然な連動のわかりやすい例が、普段の生活の中にもあります。
たとえば大笑いするとき、驚いたとき、泣きそうになるときのように、感情が大きく動く場面では、呼吸と喉頭は反射的に結びついて連動しています。
わざわざ「呼吸をこうして、喉をこう動かして」と考えなくても、感情が優位な時は自然に呼吸と喉頭は連動しているのです。
つまり、呼吸と喉頭の連動は、もともと私たちにできないことではないのです。

呼吸と喉頭の深い関わり

さらにさかのぼって考えると、呼吸と喉頭の連動はかなり古い段階から人間の体に組み込まれていたと考えられます。
原始時代の呼吸と喉頭の連動は、今のように声を出すためだけにあるものではなく、空気の通り道を守ったり、必要に応じて開いたり閉じたりする、生命維持の為に連動していました。声を出す機能もその後備わりました。
つまり、呼吸と喉頭の連動は最近生まれた特別なものではなく、かなり古い時代から深く関わってきた働きだと考えられます。

しかし歌うと何故か連動しなくなる

呼吸と喉頭の連動の役割は増えましたが、だからといって歌うときだけ急に連動が無くなるわけではありません。
それでも現実には、歌になるとこの自然な呼吸と喉頭の連動が崩れやすいのも事実です。
普段の呼吸や感情の動きでは自動的に起きている連動が、なぜか歌おうとした途端にうまくいかなくなる。
ここに、発声の難しさがあります。

しかし、ここで改めて確認しておきたいのが呼吸と喉頭の連動は特別な事ではないという事です。
だから上手に歌う為に必要なのは、何か特別なテクニックを身につける事ではありません。
本来の呼吸と喉頭の連動を取り戻し、歌の中でも働くように回復していくことです。

 

フースラーが指摘する呼吸と喉頭の連動が分断される原因

誤った呼吸の使い方の例

呼吸と喉頭の連動が分断される理由の一つとして、フースラーは、誤った呼吸の使い方や支え方を挙げています。

まず誤った呼吸や支えの参考例で咳や排便、出産の時に状態を上げています。
この時、胸やお腹に圧を強く高めて空気を外へ逃がさない状態になっています。
これらは日常生活では自然な事ですが、問題なのは、そのような強い圧を胸やお腹にかけて歌うとすることです。

フースラーは誤った呼吸の使い方と支えを下記のように言っています

・息を吸う意識が強すぎて、必要以上に吸い込むこと
・胸やお腹をパンパンに張らせたまま、その状態を固定して歌うこと
・わき腹を外に広げたまま固め続けること
・横隔膜を低い位置に保とうとして、ずっと力を入れ続けること
・お腹まわりに圧をかけ続けて、息を無理に押さえ込むこと
・横隔膜の頂上を下へ押し下げるように支えること
・深呼吸を強制し、声を出すときに腹壁を必要以上にゆるめること
・喉の下に息の圧をため込み、下から声帯を押し上げるように歌うこと
・「強く押せば強い声になる」と考えて、圧迫を方式化すること
・吸うことばかりを重視して、吐く働きを軽く見ること
・呼吸を自然な連動ではなく、型や形で固定しようとすること
・呼吸だけ整えれば声も整うと考えて、喉頭との協力を切り離してしまうこと
・空気をたくさん使うことが良い発声だと思い込むこと

上記の誤った例に共通しているのは、「息を吸う意識が強すぎること」と、「胸やお腹に息を溜め込んだ状態を固めたまま歌うこと」です。

息を吸い過ぎるとなぜダメなのか?

まず、息を吸う意識が強すぎることについてです。
本来、呼吸は無理にたくさん吸い込まなくても、息をしっかり吐いて肺の中の空気が少なくなれば、生命を維持する働きによって、自然に必要な空気が肺に入ってきます。これが恒常性機能、いわゆるホメオスタシスです。

しかし、「息をたくさん吸わなければならない」という意識が強くなると、今度は息を吐くことがおろそかになってしまいます。すると、肺に空気が残ったまま、さらに息を吸おうとする状態になります。
その結果、本人は「まだ十分に吸えていない」と感じやすくなり、ますます無理に吸おうとしてしまいます。そうなると、肩が大きく上がるなど、姿勢まで崩れやすくなります。

このように、間違った呼吸とは、吸うことを過剰に意識した結果、吐くことが不十分になり、呼吸全体の流れが乱れてしまっている状態だといえます。

胸やお腹に息を溜め込んだ状態を固めたまま歌うとどうなるのか?

次に、胸やお腹に息を溜め込んだ状態を固めたまま歌うことについてです。
一見すると、胸やお腹に息を溜め込んでいる状態はしっかり支えているように感じるかもしれません。
しかし実際には、胸やお腹に息を溜め込んで固定してしまうと、全身に余計な力が入りやすくなり、呼吸と喉頭の自然な連動が失われてしまいます。

つまり、呼吸と喉頭の連動が分断される大きな原因は、息を吸いすぎてしまうこと、そして胸やお腹に息を溜め込んで固めた状態を「支え」だと勘違いしたまま歌ってしまうことにあります。

このような状態になると、腹部や胸部には過剰な圧力がかかります。
この様な圧のかけ方は、フースラーが冒頭で挙げていた誤った参考例、たとえば咳や排便、出産のときのような圧の使い方に近いものです。
腹部や胸部に必要以上の圧力がかかると、呼吸と喉頭の自然なつながりが失われ、結果として声も出しにくくなってしまうのです。

フースラーが誤った例をたくさん紹介した理由

フースラーがさまざまな誤った呼吸や支えの例を挙げていることから、フースラーが活動していた当時の声楽指導の現場では、誤った呼吸指導がかなり多く存在していたことがうかがえます。
彼が間違った呼吸や支えを数多く取り上げて丁寧に解説したのは、そうした誤りを正すための啓蒙的な意味合いもあったのでのしょう。

当時よく行われていた誤った指導を一つひとつ正していこうとする姿勢からは、フースラーの真摯さがよく表れているように思います。

次の章では、フースラーの考える正しい呼吸と支えについて解説していきます。

 

フースラーが考える理想的な呼吸

純粋の呼吸運動

フースラーは歌う時の理想的な息の流れは、胴体下部(下腹部)の内側から上に向かって流れると言います。
逆に、胸を使って無理に押し下げるような息の使い方をすると、呼吸と喉頭の自然な連動は分断され、発声のバランスが崩れると言います。
そしてフースラーは、理想的な息の流れの時は、まず背中の下の方の筋肉や、お腹の横や斜めにある筋肉によって起こるとも説明しています。

このように胴体下部(下腹部)からの息の流れが起きると、胸や肩などの余計な力が抜けます。
すると、呼吸と喉頭が連動しやすくなり、声を一つに繋がり安定します。
さらにフースラーは、この呼気の動きによって、舌のまわりの筋肉の硬さやクセもとれると言います。
つまり、胴体下部からの息の流れは、喉まわりの筋肉の余計な力やクセをとる、ということです。

しかし、まだこの状態では声帯は開いていて、横隔膜もまだ動いていません。

フースラーがいう「零点」とは?

フースラーが言っている「零点」とは、喉に余計な力が入らず、呼吸と喉頭の繋がりが整った状態の事です。
歌の練習は、いつもこの状態から始めるべきだ、とフースラーは述べています。

ここでいう「零点」は、日常生活で例えるなら、ぐちゃぐちゃになった机の上を一度きれいにしてから作業を始める事に近いです。
机の上に物が散らかったままだと、作業は始められても動きにくく、必要な物もすぐ取れません。
なので机の上の不必要な物をどけて、必要な物だけが使いやすく置かれた状態にすると、そこから仕事がしやすくなります。
零点もそれと同じで、喉に余計な力が入らない様にまず呼吸を整えて、そして喉頭との連動を確認してから始めるという事です。

気をつけたいのは、「零点」をただの脱力とは違うという事です。
フースラーが言いたいのは、ただ力を抜いてふにゃっとすることではありません。
そうではなく、正しい息の動きによって、呼吸と喉頭が自然に連動した状態のことです。

言いかえると、零点とは「何もしていない状態」ではなく、「喉に余計な力が入らず、歌う準備がきちんと整った状態」です。そして練習は、いつもその整った状態から始めることが大切だ、という意味です。

 

息の量を調整する対抗運動とは?

フースラーは、胴体下部の上への息の流れだけだと、呼吸と喉は連動しているが、そのままだと必要以上に息が流れてしまい、息漏れが起きると言います。なので、今度は息の量をうまく調整する働きが必要になる、と言っています。

フースラーは息の量を調整する役割を横隔膜がしていると説明しています。

横隔膜は、上手く歌っているときは下方向へ動きます。
つまり、うまく歌えている時は胴体下部から上へ息を流しながら、横隔膜はそれに対して、息が流れ過ぎないように下へ動き息の量を調整している、ということです。これを対抗運動と言います。

さらにフースラーは、この胴体下部と横隔膜の対抗運動によって体を伸ばす筋肉も動き出すと言っています。
体がしっかり伸びていることで、息の流れが整いやすくなります。

この様な胴体下部と横隔膜の対抗運動の結果、息は一気に流れ出るのではなく、必要な分だけ使いやすくなり、また息の量を細かく調整できる様になります。それと同時に、喉頭内では声帯が自然に閉じ、声帯も伸びて、声を出す準備が整っていきます。
つまり、息の流れが整うと呼吸だけでなく、喉の働きも同時に整うのです。

この対抗運動を分かりやすく言うと、水道の蛇口をひねって水の量を調整するのに少し似ています。
胴体下部からの息の流れだけだと蛇口が全開に開いている状態なので、そこに横隔膜が動くと蛇口を捻って水の量を調整する様に息の量も調整されます。
ただしフースラーは、胴体下部と横隔膜がバランスよく対抗運動する事で、息を自由にコントロールできるようになる、とも言っています。

 

横隔膜の感覚について

フースラーは上手く歌えている時、背中の下あたりから声を押し出されている感覚が生まれる、と言っています。

なぜなら横隔膜の強く働く部分が背中側の内側にあるため、正しく歌うと「背中から声を押し出されているような感じ」になりやすいのです。歌手で「背中で歌う」と言っている人がいるのは、その感覚を表していると考えられます。

またフースラーは「お腹の上のほうをカチカチに固めたまま歌う人は多いけれど、それでは本来動くべきところが動きにくい。それなのに“これでしっかり声を押し出している”と思い込むのは間違いだ」とは批判しています。

つまりフースラーは、歌うときの力の出発点は背中の下のほうに感じると説明しながらも、だからといって歌っている時に背中や横隔膜を強く意識してはいけないと言っているのです。

胴体下部と横隔膜の対抗運動の時、背中の下から声を押し出す感覚が生まれる というのがフースラーの考えです。

またフースラーはさらに、上達していくと、背中から動きはゆっくり起きるのではなく、すばやく瞬発的に起こる(びっくりしたときに体が思わず反応するような、瞬発的に動く感じ)、そして横隔膜の強い感覚は上達すると減っていくが、それは体が適応している証拠なので気にしなくても良いとも言っています。

 

 

フースラーが考える正しい支えとは

日常生活で歌の支えと一致する動きとは?

フースラーは、人は力仕事をするとき、お腹や横隔膜、肋骨の間の筋肉、背中の下の筋肉などの体幹が自然に一緒に反射的に働くと言っています。そのとき体の中では、声帯や食道などが閉じる方向に働きす。すると空気が入りにくくなり、胸の中の状態が安定します。そうすると体の土台が整い、力仕事をしやすくなります。

そしてフースラーはこの力仕事の時の体の動きは歌う時の支えの動きと似ていると言っています。
つまり、力仕事のときに自然に起こる体の動き方の中に、歌の支えと共通する部分がある、ということです。

しかしフースラーは「このような体の自然な働きは、今の多くの人使わなくなり弱くなってしまっている。そしてその理由は、今の生活のしかたにある」と考えています。

つまり昔から体にもともと備わっていた、呼吸と喉の働きが自然に結びつく力が、現代の生活の中でうまく使われにくくなっている、ということです。

なのでフースラーは、「歌に必要な体の連動は、本来人に備わっている自然な働き、しかし現代人はそれを使っていない、だから再び訓練で思い出し、取り戻していくことが大切だ」と考えているのです。

正しい呼吸の支えとは?

フースラーが言いたいのは、歌うときの息は、とても細かく調整されながら使われるので、安定させるための「支え」が必要だということです。ここでフースラーは、その支えを「足場」とたとえています。

そして呼吸の支えは、たとえば背骨を支えて伸ばす背中の深い筋肉や、下のほうの腹筋、さらに骨盤の向きを前に整える筋肉などの体幹の筋肉が関わるとされています。

しかしフースラーは、現代の人はこうした筋肉があまり発達していないことが多い、とも述べています。
ただし、ここで本当に大事なのは支えに関わる筋肉を歌う時にガチガチに固定してはいけません。

フースラーが強調しているには、「呼吸の支え」は、良い姿勢をガチガチに固定して作るものではなく、正しく呼吸筋を動かしていれば自然に「呼吸の支え」はできてくるものだと考えています。

 

イタリア式の支え「アッポジアーレ・ラ・ヴォーチェ」とは?

フースラーは、正しい「声の支え」は、昔のイタリアの流派では「アッポジアーレ・ラ・ヴォーチェ」として教えられていた、ということです。
ただフースラーは、今のイタリアの流派では、その大事な考え方がだんだん失われてきている、と残念がっています。

フースラーによると、「アッポジアーレ」という言葉には「寄りかかる」という意味があります。
ここでいう寄りかかるとは、実際に何かにもたれることではなく、背中の下のほうから胸の前の上のほうへ向かうような力の流れをイメージして使う、ということです。そうすると、胴体下部と横隔膜の対抗運動が起きやすくなり、それと同時に、喉頭や喉頭懸垂機構とも連動する、とフースラーは考えています。

フースラーは理想的な発声器官が連動する瞬間について、「コルポ・ディ・ペット」という考え方を挙げています。
これは、発声の瞬間にほぼ全ての発声器官を、非常にすばやく連動させるようなものだと説明しています。
要するに声を出す前に一瞬で呼吸器官、喉頭懸垂機構、喉頭を連動させ、それから声を出すという事です。

言いかえると、「アッポジアーレ・ラ・ヴォーチェ」とは、全ての発声器官を一瞬でつなげて連動させるための考え方だ、と考えると分かりやすいです。

アッポジアーレ・ラ・ヴォーチェの注意点

フースラーは、イタリア流の発声には独特の特徴があるということです。
その一つが、胸横筋を強めに使うことです。
胸横筋を強く使うと声帯の動きや、声門閉鎖しやすくなる考えています。
そのため、出てくる声も、イタリアで好まれやすい明るい音色になりやすい、と述べています。

またフースラーは、高音の時も、イタリア式ではしっかり声門閉鎖される傾向があると説明しています。

ただしフースラーは、この胸横筋を使う方法はイタリア人特有の、体格や体感、筋肉の使い方、活力、喉のまわりの筋肉の状態などによって成り立っている、と考えています。
だから、イタリア人以外の人がいきなり同じようにやろうとすると、うまくいかないことがある、と注意しています。

特に気をつけるべきなのは、胸横筋を強く使おうとすると、息を強く押しつけるだけのやり方になりやすいことです。
フースラーは、それでは本来のアッポジアーレとは違ってしまう、と言っています。

言いかえると、この部分は、「アッポジアーレには学ぶべき点があるが、見た目だけをまねして胸や息を強く押すと本来の意味から外れてしまうので、注意が必要」という話だと考えると分かりやすいです。

 

フースラーの仮説:呼吸の動きは、喉に二つの力をもたらす?

フースラーは、呼吸の動きは喉に大きな影響を与えていて、その中でも特に大事な力が二つある、という仮説をたてています。

一つ目の仮説は、横隔膜の働きです。
フースラーは横隔膜が動く事で主に喉頭懸垂機構が動きやすくなる言っています

2つ目の仮説は、胸の内側にある筋肉の働きです。
フースラーは、こちらの働きによって、声門を閉じる筋肉や、声帯に張りを与える筋肉、など主に喉頭内部の筋肉が動きやすくなると言っています。

ただフースラーは、この部分で少し慎重な言い方もしています。
つまり、完全に断定しているというより、「このように考えられる」という仮説として述べているのです。

 

フースラーが考える歌における呼吸の立ち位置

フースラーの考える理想的な発声は、一部の発声器官だけで歌うのではなく、呼吸器官、喉頭懸垂機構、喉頭の全ての発声器官の自然に連動している状態です。

その上でフースラーは
たしかに喉の動きも呼吸の流れの中で起こりますが、歌う場面では逆に、喉の状態が呼吸の良し悪しを大きく決めることもある」、と考えています。

つまり、「呼吸が喉を動かす」だけではなく、「喉の働きが呼吸を整えることもある」という逆向きもあるということです。

例えば声を出しているときに喉に違和感を感じると、自然に胴体下部や横隔膜を意識したり、姿勢を直したりすることがあります。これは喉の動きの変化を感じ取って呼吸を整えた瞬間です。
これは呼吸と喉頭は相互関係であり、お互いに影響しあっている証拠とも言えます。

またフースラーは「喉頭の状態が良くなれば呼吸も整いやすくなるので良いアンザッツも必要だ」、とも述べています。
これは「喉頭やアンザッツが最重要で呼吸は何もしなくてよい」ということではなく、呼吸だけでは発声器官は連動しないので、呼吸だけの練習ではなく、アンザッツの練習もしましょう ということです。

フースラーは、歌うときの理想的な体の働きは、呼吸、喉頭懸垂機構、喉頭の全ての発声器官が連動した流れで生まれるものと考えています

だから、その中のどこか一つだけが何もしなかったり、逆にじゃまをしたりしてはいけない、と言っています。全ての発声期間が協力して働く必要がある、ということです。

フースラーにとっての呼吸は主役ではないものの脇役でもない絶対に欠けてはいけない発声器官の一つです。
そして呼吸と喉頭の連動を回復させる入り口なのです。

 

この章の最後に

この章を読むと、私はフースラーが呼吸を非常に重要視していたように感じます。
ただし同時に、フースラーは呼吸を重要と考えながらも、「呼吸だけが発声の主役である」と受け取られないよう、非常に慎重に言葉を選びながら解説していたようにも思えます。

その背景には、フースラーが活動していた当時の発声指導の現場で、誤った呼吸指導があまりにも広く行われていたことがあったのではないでしょうか。実際、この章で誤った呼吸の例に多くのページが割かれていることからも、その問題意識がうかがえます。

おそらくフースラーは、呼吸そのものは極めて重要である一方、使い方を誤れば大きな弊害を生む、いわば諸刃の剣のようなものとして呼吸を見ていたのだと思います。
だからこそ、誤った呼吸指導が横行している時代において、彼は「まず喉の状態を見よ」「喉に問題を起こす呼吸は間違っている」と言いたかったのではないかと私は感じます。
そのために、「喉頭懸垂機構が正しく機能すれば呼吸も整う」という趣旨の記述を、あえて章の随所に置いているように思えます。

しかし一方で、この「喉頭懸垂機構が機能すれば呼吸も整う」という記述だけを見て、「呼吸は何もしなくてよい」と受け取ってしまう人がいるのも事実です。そして最近は、そうした受け取り方がむしろ増えているようにも感じます。

ただフースラーはこの章で、間違った呼吸の例を批判するだけでなく、正しい呼吸についてもきちんと説明しています
とくに正しい支えについて述べる場面では、力仕事をしているときの身体の状態が、歌唱時に必要な支えに近いと説明したうえで、現代人はそのための筋肉が弱っているため、それを再発見しなければならないと述べています。
この「再発見」とは、弱ってしまった筋肉の働きを回復させることを意味していると考えられます。

そう考えると、フースラーは決して「呼吸は何もしなくてよい」と言っているのではなく、むしろ呼吸に関わる筋肉は弱っているのだから、訓練を通して再び動けるようにしなければならない、と述べているのだと言えるでしょう。

 

フースラーメソード徹底解説⑦唇・舌・口蓋・口蓋垂の問題と新説でフースラーが伝えたい事|歌うこと第5章「唇・舌・口蓋・口蓋垂について」第6章「自発振動」から